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Club Med ギリシャ 1991

KOZO's ステージワーク

(大沼孝三の手記より)

大きな期待を受けての出演、そのプレッシャー

通常、海外のヘアーショーに参加する場合、旅費などはそれぞれのサロンで負担します。たとえばパリのステージに参加する場合なら、アシスタントを一人連れて参加するだけで200万円くらいの費用が必要になります。200万円という金額は決して安いものではありません。

しかしこのギリシャのクラブメッドでのステージでは、スタッフ・モデルを含む計7名の旅費、食費など、すべてを主催者がご負担いただく形で日本から招待されました。

異例の待遇でビッグステージに招待

さらにステージ後には、なんと7名全員を2泊3日のエーゲ海クルージングにご招待いただいていたのです。おそらく1,000から1,500万円くらいの金額をご負担いただいたのではないかと思います。これだけの待遇を受けておりますので、私も大変なプレッシャーを感じていました。

さらに、このステージは当時(1991年)の世界のトップ4名の美容家が競演するステージです。スペインの美容家、セバド氏。カットの神様、ジャン・ルイ・デ・フォルジュ氏。世界のカリスマでヨーロッパで最も人気があった、ロマン・ソラン氏。そして私、大沼孝三。

私は普段からあまり物怖じしない性格ですが、さすがにこのステージだけは特別でした。絶対に成功させなければならない。そんな緊張感の中、思いがけない出来事が起こりました。

相次ぐトラブル…流血

それは、リハーサルの最中に起こりました。私の右足から「ビシッ」という音がするとともに激痛が走ったのです。腱が切れたのかと思うくらいの痛みで、私はその場に崩れ落ちました。

本番まであと2時間です。私は控え室に運ばれ、スタッフにマッサージをしてもらいましたが、痛みは増すばかり。脂汗も出てきました。なんとか本番では、片足を引きずりながらも、ステージに立つ事ができましたが、トラブルはそれだけでは終わりませんでした。

ステージ上でまさかの流血?

ステージは、当時ヨーロッパで流行っていた超大型テントの中に設営されたものでした。そのため通常のステージとは照明も異なり、スポットライトを浴びている方は明るくなるのですが、スポットライトを浴びていない方は真っ暗だったのです。

私はこの普通のステージとは全く異なる状況の中、レザーで黒ゴムを切ろうとして、左手の人差し指をザックリ切ってしまったのです。

レザーの切り口は鋏の数倍深くカットされます。このままでは血が噴き出してくる事は間違いありません。モデルの衣装は150万円以上もするコシノ・ヒロコの着物でしたが、その着物が血だらけになってしまうかもしれません。そして、なによりステージが台無しになりかねない状態でした。

一度ステージから退いて手当をしてもらえばいいと思われるかもしれません。しかしプロとして、そのような理由でステージを空ける事はできませんでした。

大喝采そしてアンコール

私は左手の親指と人差し指を強くくっつけました。傷口を押さえこんだといった方が正しいかもしれません。そして、その状態のまま2名のモデルを仕上げました。

ステージ前に大きなプレッシャーを感じていたにもかかわらず、そのとき私はとても落ちついていたのです。後でVTRを確認しても指をカットしているようには見えませんでした。なぜこのようなトラブルに見舞われて落ちついていられたのかは、今でもわかりません。

スタンディングオベーションで迎えられました。

「日本の古典と日本の未来」をテーマにしたこのステージは、大成功をおさめました。会場を埋めたお客様達は、スタンディングオベーションで感動を表してくださいました。

さらに驚いた事に、一度控え室に戻った私にアンコールの呼び声が起こったのです。ヘアーショーでのアンコールは珍しい事ですし、私にとっても初めて受けたアンコールでした。

「日本の古典と日本の未来」をテーマにしたステージは大成功!

痛む脚を引きずりながらも満面の笑みを浮かべて、私は再度ステージに戻りました。そしてギリシャ人の美人司会者から熱烈なキスをほっぺに受けたのでした。

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