(大沼孝三の手記)
私が初めて世界のステージに立ったのは、1979年の「サロンインターナショナル ロンドン」でした。ロンドン郊外のウェンブリーという街で、2000人収容の会場に一杯の観客を集めて開催されました。
日本からは私を含めて10名ほど出演しましたが、このときのステージがロンドンっ子たちから大絶賛をうけました。この成功を受け翌年1980年の「ORO ロンドン」のビッグステージに招待されたのです。
「ORO ロンドン」は当時のヨーロッパで有名な雑誌だった「ORO(オロ)」誌が主催したヘアーショーで、観客数4,500名という大規模なヘアーショーでした。私の経験ではヘアーショー単体でこれほどの観客数を動員できるイベントはそうありません。
ヨーロッパを始め世界各地から有名な17のサロンや団体が参加しており、「TONI&GUY」「トレバーソルビー」「サンリッツ」「アービンラスク」「ヴィダル・サッスーン」「ロマン・ソラン」など、今でも世界的に有名なサロンとの共演でした。
ヘアーショーといっても200人収容の会場で行われるステージと、1,000人収容の会場で行われるステージとでは「見せ方」が全く異なります。ましてや4,500人を収容する会場ともなると、ヘアスタイルやコスチューム・メイクまでがまったく違います。普通のヘアスタイルやメイクでは、後ろの方のお客様から見ると何を表現しているのか分からないくらい小さな物になってしまうのです。
このようなビックステージでは、ヘアスタイルを大きめに作ることと、モデルのウォーキンングが重要になります。しかしモデル選びでは、現地の美容師たちがウォーキングの上手なモデルを押えてしまうので、通常ですと我々のような海外からの参加者は不利です。ところが、このステージでの私のモデルは大変素晴らしい方で、ウォーキングもバッチリでした。
私はこのステージに、日本で3ヶ月掛け、何度も作り直して完成させた付け毛「ラッカーヘア」を持ち込みました。
生け花の「真・副・控」をベースにして、「ラッカーヘア」をヘアスタイルの中に組み上げました。このスタイルは自分でも驚くほど上手くいき、私とペアを組んでいた柿本榮三氏とともに、素晴らしい拍手と口笛を受けました。スタンディングオベーションまでおきました。
予想以上の反響に驚いていると、ヘアーショーの最後になんと「金賞」が授与されました。世界のステージで世界的な美容家たちを相手にして受賞した金賞!まるで夢のような出来事でした。
その後ICD(世界美容家協会)から正式に入会のお誘いをいただきました。ICDへの入会は美容師にとって最大のステータスです。ICDへ入会の審査では、人格・社会性まで審査の対象となり、通常は40才以上でなければ入会は認められません。当時30代であった私がICDに入会できたことは、大変珍しく、また名誉なことでした。
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